2007/07
華岡青洲の春林軒君川 治



世界で始めて全身麻酔による乳がん手術の偉業は1954年(昭和29年)世界外科医学会において認められ、シカゴ市のミシガン湖畔にある世界外科学会栄誉会館内の日本室に顕彰されているそうだ。
 2004年10月13日の朝日新聞夕刊に、華岡青洲が世界で始めて全身麻酔による乳がんの摘出手術を行ったのがちょうど200年前の1804年10月13日であり、日本麻酔学会は10月13日を「麻酔の日」としている記事が掲載された。
 秋晴れの1日、和歌山県の名手に現存する華岡青洲の里を訪ねた。ここに華岡青洲の生誕の家であり、診療所、医学校でもあった「春林軒」がある。観光バスや車での見学者も多く、小学生が大勢見学に来ていた。
 華岡青洲は代々続く医者の家に生まれ、父は蘭学を学んだ外科医であった。生まれ年は1760年(宝暦10年)であるから杉田玄白より少し後、大槻玄沢と同年代である。京都で3年間学び、オランダ流外科を学んでこの山里に戻り、父の後を継いで患者の診療を行った。
 外科の治療には痛みが伴うが、当時の西洋でも未だ麻酔薬は開発されていない。昔、中国で麻酔湯を使って痛みを和らげて手術をしたとの言伝えがあり、青洲は診療の傍ら麻酔薬の研究開発に没頭することになる。多くの薬草を採集し、それらを組合せて調合して試薬を作り、犬や猫を使って試験を繰り返した。
 動物実験という近代的な手法で研究を進めたが、最後に乗り越えねばならない壁は「人」による効能テストであり、これには母緒継と妻の加恵が実験台になった。研究を始めてから凡そ20年の歳月を要して、麻酔薬「通仙散」が完成したのである。
 現存する春林軒は、主屋と蔵は修理復元したもので、その他の建物、塾兼薬調合所、病室、米蔵兼看護婦宿舎、物置などは発掘調査により復元したものだ。主屋には居間・客間・茶の間などの住居と診察室・手術室・薬調合室などの病院がある。
 麻酔薬による乳がん手術の成功は近隣地域から全国へと拡がり、片田舎の診療所に患者が次々と訪れるようになる。更には教えを請う弟子も全国から集まるようになり、入院治療の病室が3室、門下生を教育する塾、看護婦宿舎などが主屋を取り囲むように建てられている。
 青洲存命中に学んだ門下生の数は1033人、青洲が亡くなった1835年から明治15年(1882)までの門下生は1001人で、修業後に認定書の免状を貰っている。 
 麻酔薬「通仙散」は曼荼羅華(チョウセンアサガオ)を主成分としてトリカブトなどの薬草6種類を調合して作ったと説明があるが、全く独学で世界に先駆けて全身麻酔薬開発した功績は、現在なら間違いなくノーベル賞受賞に輝くであろう。


筆者プロフィール君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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